私的標本:捕まえて食べる

玉置標本によるブログ『私的標本』です。 捕まえて食べたり、お出かけをしたり、やらなくても困らない挑戦などの記録。

あとだしのあとがき

三年前、結婚をしたことで家族が増えた。義父と義母と義兄だ。少し離れたところに住む新しい両親とは、月に一度くらい会うかどうか。義兄とはさらに会う機会がない。結婚してからしばらくは会うたびに緊張をしていた。ふらふらとした生活をしている私のことをどう思っているのか不安だった。10年くらい前に私の父が他界していたこともあるのか、家族が増えるということをうまく消化できていなかった。まだ何度かしか会ったことのない人を、いきなり「おとうさん」「おかあさん」「おにいさん」とは呼べなかった。妻が私の母を、すぐにおかあさんと呼んでくれていたことに対して、情けなく、申し訳なかった。一昨年、我々にとっての初の子供、義父母にとっての二人目となる孫が生まれてから、義父母と会う機会がだいぶ増えた。我々夫婦はもちろんだが、義父母も、そして実母も、娘のことをとても愛している。夏に義父が体調を崩して入院した時、義母からの電話であまり調子がよくないという話を聞いていたのだが、妻と娘と三人でお見舞いにいくと、義母が驚くくらいに突然元気になってくれた。それがすごくうれしかった。そして今回の旅では、自分の中のテーマは家族になることだった。義父母という言葉はあるけれど、義家族という言葉はない(ないこともないらしいけど)。家族旅行をするのだから、もうそれは家族なのだ。そんな屁理屈を考えながら、私が家族の仲間入りをし、義父母のことを、おとうさん、おかあさんと自然に呼べるようになるきっかけになるかなと思った。自分が家族旅行というものをしない家で育ったので変な緊張をした。旅行にいく事を、義父母はとても喜んでくれていた。少しやせてしまった義父が孫を抱いて歩いているのを見て、妻と義母と笑いあった。やっぱり娘は義父にとっての一番の薬になってくれた。その日は袋田の滝を見た後、義父母と娘を茶屋で休ませて、その間にさらに上流にある別の滝まで妻と歩いて見に行った。なんだかんだで滝を見るのは楽しかった。そして夜、近くの旅館で義父が紫のちゃんちゃんこをきて喜寿の祝いをした。宿の人に、義父母、その娘(妻)、さらにその娘と一緒に写真を撮ってもらった。とても照れくさかったが、やっぱりうれしかった。忙しくて来れなかった義兄夫婦の代わりになれただろうか。そして一つの部屋で五人で寝た。一泊の旅行を終えて、車で義父母を家まで送り、そこで一休みしてから家に帰った。帰り道の運転をしながら、場所や目的はなんでもいいから、また一緒に旅行へいきたいと素直に思った。そしたらもし体力が落ちていたとしても、また義父も義母も、孫を抱いて元気に歩いてくれるかなと思った。さっき、妻が実家に電話をしていたので、途中で電話を代わってもらった。今まで電話で義父母と話すことはほとんどなかったけれど、一緒にいった旅行のお礼が言いたかった。その電話で、おとうさん、おかあさんと、自然にではないけれど、口に出せた。電話をしながら今頃涙目になっている自分はあほだ。その後電話を替わった妻が、おかあさんがびっくりしていたといっていた。もっと早くいえばよかった。でもいまさらだが間に合ったんだとも思う。今度の正月は妻の実家に行く。今よりも会う機会を増やそうと思う。孫とたくさん遊んでもらおうと思う。次の家族旅行では、義父母を自然におとうさん、おかあさんと呼べると思う。そして、おとうさんの背中を流せると思う。今からドキドキしている。
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