私的標本:捕まえて食べる

玉置標本によるブログ『私的標本』です。 捕まえて食べたり、お出かけをしたり、やらなくても困らない挑戦などの記録。

「捕まえて食べたりする人」が増えているのかと聞かれたので

ある媒体の記者の方から(面識なし)、「最近、生き物を捕まえて食べたり、草を摘んで食べたりする人が増えていると思うのですが、インタビューをさせてください」みたいなメールがきた。

もちろんこれは著書の「捕まえて、食べる」を読んでいただいての話だ。ありがたや。

捕まえて、食べる

捕まえて、食べる

 

 

増えているかと聞かれると、うーん。

心当たりはものすごくあるんですよ。

多摩川の草を365日食べてる人とか、その辺から採ってきたものを食べる会をしている人とか。

でも、相対的に増えているのかといわれると、うーん。

 

だってほら、野生動物は全部の食べ物を自分で採ってくるし、人間も大昔まで遡ればそうだっただろうし、そこから農耕を始めても基本は自給自足で、だんだんと物々交換が始まり、貨幣が生まれてお金で買うようになって社会が分業制となり、産業革命などを経て食べ物を自分でどうにかする率が下がって来た訳だけど、それでもちょっと前(っていうのがどれくらい前かっていう話なのだが)までは、農家じゃなくても裏庭なんかに土地があって畑をやっている家庭が多かったり、山菜とかキノコとかハチノコとかイナゴとか生活の中に季節ごとの食べ物を採ってくるというイベントが組み込まれていたりが普通だったと思うんですよ。

なので、増えているのかといわれると、うーん。

例えば10年前に比べて、採って食べる現役だった年配の方がお亡くなりなったりする分、割合は減っているんじゃないかなー。

 

グラフにすると、こういうイメージ。

自給率の数値とか年代のメモリは適当です。

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ちょっと前までは、食べ物を自然の中から自給することが多くの人にとって当たり前だったので、とくに目立たなかったけど、今は当たり前じゃなくなったから、その行為がSNSとかで目立つんじゃないかなと。そこだけをみて、「採って食べる人が増えていますよね」といわれると、うーん。

ザザムシ採る人も、やっぱり減っていると思うんですよ。採れるような環境も減っているし。ハチノコを採る人とか。

blog.hyouhon.com

 

例えば「着物を着ている人が増えました」っていうニュースがあったとして、「いや明治以前はみんな着物だし」。

例えば「プランターで野菜を育てている人が増えました」には、「いや昔は野菜くらいみんな育てていたよ」。

例えば「製麺機で麺を作る人が増えました」には、「いや昭和中期頃は群馬など小麦の産地で以下略……」。

ってそういう話が聞きたいんじゃないんでしょうけどね。

 

10年前に比べて増えているのは、「都市部に育ったにもかかわらず、捕まえて食べることに興味があり、それをSNSで多少なりとも発信している40歳以下の人」なのかなーと。

生活ではなく趣味としての狩猟生活ごっこ。私もおなかを満たすために食べ物を採っている訳ではなく、レジャーというか、お楽しみというか、完全に趣味としての食材採集です。ほしいのはカロリーではなく自己満足。僕はものすごく楽しいですが、どうなんですかね。

目立つ形で広まることによって、なにかマナー違反的な問題が起きて、今までOK(というかNGではない)とされていたことが明確な禁止事項になったり、採取者が一極集中したりするのではなく、みんなの共有財産として自然環境を保護していこうという考えにつながるといいですね。干潟の埋め立てとか用水路の三面コンクリート化とか安易なメガソーラー建設とかにちょっとまて!となる人が増えればいいなーと。自然に対して価値を見出してくれる人が多くなれば。

 

っていう話をすればいいのかなーって思っていたら、インタビュー自体がなくなったのでした。

 

おしまい

 


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