※『地球のココロ』というクローズしたサイトで、2014年6月13日に掲載した記事の転載です。
富山県氷見市で、木造和船の漕ぎ方を教えてもらえるイベントに参加し、その船を作った船大工さんに話を伺ってきた。
氷見の男なら誰でも乗れた天馬船
深夜バスに乗ってえっちらおっちらやってきたのは、冬のブリで有名な富山県氷見市。
ここで持続的市民文化芸術環境活動をおこなっている、アート NPO ヒミングが所有している、氷見の伝統的な木造船である天馬船に乗るためにやってきたのである。
氷見といえば、藤子不二雄A先生が生まれた街なので、いたるところにキャラクターがいますよ。
定置網漁が盛んな氷見では、昔から「天馬船」という船が使われており、それを作る船大工がいたそうだ。天馬船はとても小型の船で、現代の農家における軽トラみたいな使われ方だったのだろう。
そんな氷見の木造和船の文化や造船技術は、40年くらい前から FRP の船が普及したことで、現在はほとんど失われてしまった。
しかしそれではあまりにももったいないということで、ヒミングが数少なくなった木造船を作れる船大工に依頼をして、天馬船を復活させたのが2009年。今日はその試乗会イベントなのである。
これが天馬船。エンジンも帆もない。動力は人力。
なんと2艘目も作ってしまったそうです。
復刻された天馬船は、まさに時代劇で見るような船で、宮本武蔵が巌流島に渡るときに乗りそうな雰囲気である。こんな船がよく今の時代に作れたなと驚いてしまう。
ボートのオールと違って、櫓(ろ)は一本だけ。
櫓を突起に引っ掛けて、テコの支点にする。
櫓の裏側。これを突起に引っ掛ける。着岸のときなどにすぐに外れないと困るから、あえて固定はしないそうだ。
日本では古来より、用途や場所によって様々な木造船が作られており、このタイプの船は普通「伝馬船」と呼ぶのだが、なぜか氷見では「天馬船」というそうだ。
ペガサスシップである。かっこいい。
天馬船は子供たちの遊び道具でもあり、雪山で育てば自然とスキーを覚えるように、氷見の海辺で育った男なら誰でも天馬船を漕ぐことができた。
そして男たちは年頃になると、好きな女の子を船に乗せ、氷見の港から500メートル程沖にある島でデートをしたのだとか。
藤子不二雄A先生関連のイベントの日だったそうで、仮装をした御一行がやってきた。誰かなと思ったら、この怪物くんが氷見市長だそうです。
板に書かれた数字のフォントに萌える。
漕ぎ方を教えてくれるのは、この氷見で育った男たち。
天馬船を漕いでみる
このかわいい木造和船に乗り込んで、さっそく漕ぎ方を教えてもらう。この船を自由自在に漕ぎこなすことができれば、この氷見できっとモテモテになるはずだ(40年前の氷見ガール達とかに)。
ちなみに私は2級小型船舶免許を所有しているが、この大きさの手漕ぎ船は、免許いらずで誰でも乗ることができる。
いざ出発!
さて、さっそく漕いでみての感想なのだが、これが当たり前だが難しかった。
大人になってから自転車に乗れるようになるとか、泳げるようになるというのが大変なように、櫓で船を漕げるようになるというのも、なかなか難しいものである。
コツがわかれば力はそれほど必要ないそうで、ご年配の方でもへっちゃらで漕いでいるのだが、ヘタクソの運動不足アラフォー男が漕ぐと、翌日全身筋肉痛は免れない。
水の抵抗が櫓から伝わってきて、うまく漕げると気持ちいい!
でも素人がやると、櫓が外れまくるんだな。
氷見育ちの指導役の船頭さんに、櫓が船から外れないように押さえてもらって、どうにか少し進むくらいの腕前だが、それでもリズムよく漕ぐことができると、このまま旅に出たくなる。ちょっと滑川あたりにホタルイカを買いに行こうかな。
一本の棒(櫓)をテコの原理で水を練るように動かすことで、船が前へと進んでいく感じがとても気持ちいい。
エンジン船とも、オールのボートとも違う、左右に揺れながら進む独特の乗り心地。これ、いいわー。
一寸法師気分も味わえるよ。
すぐそこに見えるのが氷見漁港。
なんだか背中に視線を感じる。誰かに指を差されていないですか?
8の字を書くように漕ぐのだが、素人がやるとなぜかマイケル・ジャクソンのスリラーみたいになる。
船頭さんが船の制作者だった
せっかくの機会なので、一人前とは言わないまでも、いざという時のために多少は漕げるようになりたいなと何度も乗せていただき、「今でも木造和船を作れる人がいるんですねー」なんて船頭さんに話したら、「いやいや、これは俺が作った船だよ!」という答えが返ってきた。
え!
なんとこの天馬船を作ったのが、今、私に船の漕ぎ方を教えてくれている、氷見の船大工の番匠さんだったのだ。
仕事場がすぐ近くということなので、翌日お話を聞かせてもらうことにした。わーい。
なんとこの方が、天馬船を復活させた番匠さんでした。
そしてこれが、ええと、誰だろ?
漕ぐのもいいけれど、漕いでもらうのも素敵。これはデートに最適だ。
妙に漕ぐのがうまい外国人がいるなと思ったら、日本でも修行したアメリカの船大工、ダグラスさんだそうです。
上手い人は疲れないが、下手な人はとても疲れる。
木造和船の工場見学
翌日、天馬船の乗船会を行ったヒミングから、海側にちょっと歩いたところにある、番匠さんの工場を見せていただいた。
さすがに木造船を作る工場だけあって、造船所というよりも、家具工場みたいな雰囲気である。木ばっかり。
工房を見学させていただきました。
番匠さんは現在68歳。3歳の頃に氷見の船大工の家に養子として来て、中学3年の15歳から本格的に父親の元で修行をはじめたそうだ。その頃はまだ木造和船が活躍していたのだが、すぐに FRP の船が主流となり、番匠さんが29歳で独立した際に付けた屋号が「番匠 FRP 造船」。
その屋号の通りに FRP の造船やメンテナンスを主にしてきたのだが、縁があって2009年に、なんと自身35年振りとなる天馬船を制作。それが昨日漕がせていただいた船だ。
FRP と木造では、制作技術はもちろん使う道具も違ってくるのだが、「なんでも大事にする方だから、しまってあった」ために道具が残っていたのが幸いした。まさかまた使う機会があるとは、番匠さん自身も思っていなかったそうだが。
木造からFRP となった時代も、船というのは基本的に用途に合わせたオーダーメイドだったのだが、そのうち大手メーカーによる大量生産船の時代となった。しかし、そこからまた時代も変わり、昔の木の船に多くの人が興味を持つようになり、新しい木造和船をする機会が訪れたのだ。
日本むかし話に出てきそうな、船を作るための道具達。
船用の特殊な釘。その名も船釘。
本来、櫓と舵は専門の大工が作るのだが、氷見に現役の櫓舵大工はいないので、道具を譲り受けた番匠さんが自分で作っている。
職人が作って楽しいのが木造船
「番匠 FRP 造船」という屋号の番匠さんだが、FRP の船というのは、仕事をしても面白味が少ないそうだ。まず材料の仕入れ先が問屋になるため、品質も値段も交渉の余地なし。円高になれば当然のように値段も上がる。しかし木というのは違うそうで、なじみの材木屋に「節があるから負けてくれ」とか、「去年もたくさん買ったんだから安くしろ」とか、そういう交渉の楽しさがあるのだそうだ。
船大工が一番好む木は、斜面に生えた根元部分が曲がった木。この寝曲がりの木は家を建てるのには不向きだが、船造りにはこのカーブがいいのだという。そこで家の大工がいらないやつを安く買う。これが楽しいらしい。
番匠さんが作る木造船の材料の約80%は、地元氷見のボカスギという成長が早い杉。この木は柔らかく軽いために加工がしやすく、船を海に浮かべておくと塩分をよく吸って腐りにくいのだそうだ。
この曲線には曲がった杉が向いているそうです。
もちろん材料の購入だけではなく、木を熱と圧力で曲げたりする船大工独特の加工など、木造船だからこその楽しみが無限にあるようだ。
番匠さんの仕事の様子を息子さんがブログにアップしたことで(こちら)、全国から木造船や模型の制作依頼が来るようになり、大忙しの番匠さんだが、後継者については難しいところのようである。
「木の船は好きだが、俺は何とも答えられん。とりあえず記録だけは残したい。自分のためではなく、自分たちの先輩方の何千年も続く技術を残したい。後継者については、最近注目を浴びて欲が出てくるが、時代が変わっているし、息子を無理にどうこうしようとかいう思いはない。ただこれからどう変わるのかわからないし、若い人達も木の船を見たらいいなって思うから、いろいろつながってきた。とりあえずは一つでも多く自分の作品が残せたらいいな。」
なかなか重い言葉である。あとカラオケでは「兄弟船」よりも、「祝い船」派だということも教えてもらった。
博物館などで展示するための模型も作っているそうです。
手前が天馬船で、奥の大型が大阪へ旅立つ予定の観光船。
今は需要が復活して忙しいが、確かに今後この木造和船というものがどうなるかは誰にもわからない。後継者を積極的に作ろうと思わない番匠さんの気持ちもわかるが、後継者として手を挙げてくれる人の出現と、それをサポートする体制が、番匠さんが元気なうちに実現してくれればいいなと、ヒミングの前に止めてあった天馬船に寝っころがって、川の上で揺られながら思った。
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