「捕まえて食べる」という趣味は、得られる食材のカロリーよりも捕まえるために消費するカロリーのほうがずっと多かったり(その割に痩せない)、300円で買えるものを1万円かけて追い掛けに行ったり、基本的にはそんなことの積み重ねだ。
己に溜まっていくのは、瞬間にピンポイントでしか生きない豆知識と、心のスタンプラリーに押される判子だけ。もちろんそれこそが人生の宝物なのだが、フィールドで経験を積むほどに、未知の体験に対する喜びを知りにくくなるというジレンマもあったりする。そんなもっともらしい理由をつけて、出不精になっているだけのような気もするが。
探し物をする日々から、探し物を探す日々へ。それでも「あの体験がこうしてこう繋がって超ラッキー!」みたいな、継続してきた故の喜びが、年に数回あったりする。
それが今回だった。
先日、母親から「裏庭にある柿の切株からキノコが生えて来たけど、食べられる?」という写真付きのメールが届いた。
こういった素人判断によるキノコ報告は、9割以上が毒キノコだと思った方がいいだろう。あまり期待をせずに開いた添付写真がこちらだ。
▲うん、真上からだと全然わかんないね。
パッと見て、美味しそうという感じではない。毒キノコのオオワライタケのように見えるけど。
でも柿の切株ということは、もしかしたら佐渡で覚えた天然のエノキタケという可能性もなくはないかな。
dailyportalz.jpそこで後日、ちょっと実家に寄って確認してみた。
老菌になりかけてはいるけれど、これってやっぱりエノキタケっぽくないか。
▲夕方なので写真の色がおかしいです。
▲君の名は?
▲こちらは佐渡で見つけたエノキタケ。ほら似てるでしょ。いや似てるのか?
自分で書いた記事を読み返し、その外見、匂い、手触り、生の味(食べちゃダメですが)を思い出す。またエノキタケの説明がされたページをいくつか読み、その特徴と照らし合わせて、きっとそうだと膝を叩く。
まさか実家の裏庭に生えていたとは。幸せの茶色いキノコは裏庭にいたんだね。
ただ自分の知識だけでは怪しいので、友人のキノコマニアにも写真を送ってみると、即レスでエノキだろうという回答が返ってきた。さすが。
▲「あんたが死ななければ私も食べてみるわ」とは母の言葉。
持ち帰ったキノコは泥だらけ。手間暇をかけて食べられる部分だけにして(それでも多少の泥は残るが)、佐渡で海野さんに習ったナメコおろしならぬ、エノキおろしを作ってみる。
▲この段階にするまでが面倒なのよね。
これがすこぶるうまかった。
やはり天然のエノキは栽培物と味の濃さが違うかな。硬すぎるかなと思った軸の黒い部分も意外と平気。素晴らしい。
▲味が濃いんですよ。
たくさん採れたので、鍋にも入れてみた。
あっさりとした鍋にワンランクと感じる旨味を与える天然エノキ。美味しく感じるのは、気持ち的な部分が大きいかもね。
「それでもいいじゃない、それがいいじゃない」と、相田みつをみたいなことを一人でぶつぶつ言い出してしまう。
▲一品でも獲ったものが入ると、満足度が違うんですよ。
エノキタケなんて買えば100円程度かもしれないし、下処理の手間とかを考えれば面倒なだけかもしれない。毒キノコと間違えるリスクを考えれば、まったく得をする部分がない。
それはまったく正論であって人には勧めないのだが(って誰かが文句を言っている訳でもないですが)、それでも以前覚えた新しい知識が今回役に立ち、自然から(裏庭だけど)食べられるものを得られるチャンスを無にすることなく、ちゃんとおいしく食べられたという満足感は代えがたいものなのである。
知っていたからこそ食べられたのだ。学んでおいて本当によかった。
とかいってこのキノコに当たって「お気の毒きのこ様」となったらかっこ悪いなーと思ったけど、1日経過しても元気なので、やっぱりエノキタケだったのだろう。来年も生えるといいな。
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